仕事終わりにダッシュで精華小劇場へ向かった。
なんとか、無事に開演までに間にあい、劇場にはいってビックリ。
すごい、舞台じゃなくて、劇場という空間そのものがセットになってる。
幕もなく、パネルも、セットもほとんど無い。
裸の平台と箱馬、そして机と椅子だけだ。
うわー、精華小劇場って、こんな空間だったんだね・・・。
そして舞台を観る。一言でいえば、すごかった!
上演時間、休憩時間10分いれつつ2時間50分。
安保闘争が終わった頃の時代を描いている芝居なので、
やはり時代なのだろう、言葉がすごくキレイだった。
イマドキの芝居には、こんなきれいな言葉は出てこない。
きれいな言葉だけじゃなくて、すごく抽象的な言葉も多かった。
すごく美しいけどすごく難しい。
はじめからおわりまで、言葉の応酬!
もう、目も耳もクギヅケ、必死で観た。
それに、劇団の崩壊と、役者を描いている芝居だからこそ、
同じように演劇に関わってるモノとしては、
ほんとうに、いろいろ考えちゃう、グッと来る、グサッと来る芝居だ。
時代の流れと人の変化。それだけでは片付けられない自己。
変わらなければいけないのか、
変わりたくないのか、変われないのか。
こんな芝居を、こんな役者を、演じれる人たちに脱帽。
特に、この芝居の中心となる村尾オサムさんがすごかった。
ものすごい芝居を観た、と思った。
はー、イイモノを観たよ。観に行って本当によかった。
今は、なーんも考えなくても生活できるようになってる。
いろんなモノは自動だし、たいていのものはビジュアルでわかるし、
テレビでも舞台でも、バーンと出されたモノを、
そのまますーっと受け取るだけで理解できるものばかりだ。
・・・確かに、受け取ってから自分で何かを考えるときもあるけど、
なんだかわかんないものを、
ものすごいパワーでドカンッとぶつけられることはほとんどない。
でも、そうじゃないんだよな。
なにか、ものすごいパワーをぶつけられることも必要だと思う。
今回はそんなパワーをドカンッとぶつけられたカンジがした。
芝居を観るのにすごく神経を使っていたのか、
劇場を出た後、劇場前でもめてたおじさんたちのどなり声に
すごくおびえた。キュウっとした。
普段ならあんまり気にならないのに、神経が尖ってたのかな。
しばらく帰り道はビクビクしちゃってたみたい。
家に帰って、ちょっとホッとしたら、落ちついてきたけど。
はー、しかし、今日はイイ芝居を見れてよかったよ。
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