観に行ったのは、清流劇場の『15人の海民』。
韓国の役者さんと、日本の役者さんが同じ芝居を作るシリーズだ。
舞台上では、韓国語と日本語が普通に話されていて、
韓国語どおしの会話もあれば、日本語と韓国語の会話もある。
韓国語で話された人が、ちゃんと理解して日本語で返す、みたいな。
そんなお伽話のような設定は、それが本の中の話だからだ。
とある韓国人の女の子が書いている「15人の海民」という話で、
とある村が、海から来た大きなカバにまるごと飲み込まれるという話。
人間たちは、最初は脱出しようとするものの、全く脱出できないので、
そのまま、かばのお腹の中(胃袋の中)で暮らし始める。
設定なんかは、あきらかに架空の物語なのだけど、
その中に描かれるのが、韓国と「向こうの国」との関係だったり、
地方の小さい村は、自分たちの産業だけでは立ちゆかないから、
都会と一緒に開発をすすめることで、恩恵を受けようとする・・・とか、
・・・原発や東北や地方自治体の問題がリンクしている内容だった。
韓国語のセリフは、すべて背景幕の真ん中に字幕が出るのだけど、
ついつい字幕を読んでしまって、役者さんの演技を見れてなくて、
なんだかすごくもったいない気がした。
・・・これって、文楽でも同じ経験するけどね( ̄ー ̄)ニヤリッ
美術も面白くて、カバのお腹の中がデフォルメされて表現されていたり、
地面にすべてプチプチが貼られているから、
役者さんたちが動くたびに、いろんなところから、
プチ、プチって聞こえたりする。その不規則な音がなんか面白かった。
カバのお腹の中にいる人達は、いろんな物を抱えながら暮らしていく。
ごみ問題が原発事故のように描かれていたり、地方自治体の問題だったり、
誰かがどこかの犠牲にならなきゃいけない世界だったり、
そんないろんな問題をはらみながらも、なんとか毎日暮らしていこうとする。
といって簡単に答えを出したり、すべてを否定したり壊したりすることもしない。
だって、そんなことができるのは、犠牲を押し付けてる人間なのかもしれない。
現実の世界は、壊すことも、全否定することもできない。
だって、”そこ”で生きてる人がいるから。
“誰が悪い”なんて、簡単に決められないし、わからないのだ。
誰も何もできないけれど、何かをしたい、どうにかしたいと考えながら、
どこかに道はないか、”誰も絶句しない民主主義”なんてものがあるのか、
そんな答えを探し続けていこうとしていた。
たぶん、そんなカンタンに答えなんて出ないんだけどね。
それと、答えをだそうとするだけじゃなく、
考え続けることで”忘れない”ってことが大事なんだ、と言っていた。
なんかいろいろ考えてしまう芝居だったなぁ。なかなか面白かった。
金曜から続けてみた3本の芝居。
震災に影響された芝居が多かったけど、もう1年なんだよね。
人間は忘れる生きものだと、今日の芝居でも言っていたけど、
神戸の震災でも同じように言ってたし、今でも言ってるなぁ。
忘れないようにするだけでなく、伝えていくことも大事だし、
どうしたらいいか、考え続けるのも大事なんだろうな。
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