ストーリーは、小学校6年生の時の同窓会の話。
37歳になったときに同窓会をしようという先生のいいつけどおり、
37歳になった同級生たちが集まって、同窓会を開くのだけど、
そこで事件(?)というか、不思議なやり取りが繰り広げられる。
小学生にとっては、ちょっとしたことでも、
すごく辛かったり、ふとした言葉にものすごく傷ついたりする。
きっと世界が小さいから、個々の出来事がものすごく大きいんだろうな。
そのせいで、小学生の時の思い出をなかったことにしたくても、
それはきっと”なかったこと”にはならない。
いくらすっぱり忘れたからといって、なくなるわけではないのだ。
忘れていたことすら忘れていることも、元々はあったのだから。
考えてみれば、小学生の時の思い出なんて、ほとんど残ってない。
断片的に、画像が浮かんだり、風景が浮かんだりするぐらいだ。
でも、覚えてる小学生の時の自分を考えてみたら、
自分も小学生なりに一生懸命考えて生きてたんだなぁと思う。
自分のあだ名を自分でつけてみたり、一生懸命挨拶してみたり、
自分で書いた作文を、どうやって書いたかとかまで覚えてる。
なんか変なことや恥ずかしいことばかり覚えてる気がするわ。
嬉しかったことやいいことは、ほとんど覚えてないのに、
恥ずかしかったことや嫌なことはやたら覚えてるって変な感じ。
覚えておきたいことは忘れちゃうのに、
忘れたいことは忘れられないなんて、人間ってほんとややこしいわ。
いいことよりも、悪いことのほうが覚えてるものなのかも。
そう考えてみると、悪いことなんて忘れたいと思っていたのに、
忘れられない悪いことこそが、今に影響しているのかもしれない。
嫌な思い出こそが、今の自分を作ってるなんて、皮肉だわ。
今でも毎日、いい思い出と嫌な思い出が積み重なってくるけれど、
そんな思い出も、将来は、自分の糧になっていくのかな。
忘れたい思い出も、数年後には、それもいいと思えるのかな。
なんか、いろんなことを考えた、空晴の芝居だったわ。
今回も面白かったなぁ。やっぱり岡部さんの話はいいわ。好きだわ。
芝居を見終わって、感想なんかを書いていたらふと思った。
小学生の世界の狭さって、オトナからみてみると本当に狭いと思う。
その狭い世界で一生懸命生きてた気がする。子供でもね。
オトナになると、いろんな世界も経験するし、世界が広いこともわかる。
だけど、その広い世界でちゃんと生きれているのか、と考えたら、
会社だとか、人間関係だとか、結局は狭い世界でしか生きてないのかも。
いまだに、”井の中の蛙大海を知る”こともいっぱいあるもんなぁ。
それに、広い世界を生きることがいいんじゃなくて、
狭い世界だろうが、広い世界だろうが、
小学生の時みたいに、今の自分は一生懸命生きてるのかな。
最近の自分は、最初からいろんなことをあきらめてる気がする。
何かに向かって動いている人たちを心から応援できない自分がいる。
どうせできないって、斜めに見てる自分がいる。
なんだろう・・・どうしてなのかな。
プライベートでも仕事でも、一度自分を否定されてしまうと、
次の希望を持てなくなっちゃうのかな。怖くなっちゃうのかなぁ。
怖がらずに、自分の希望も、人の希望も、応援できる人になりたい。
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