劇場に到着して、早速メールのQRコードを提示してみたけど
読み取りするような素振りもなく、名前を聞かれた。
・・・?なんとなく、イヤな予感。
とりあえず名前を伝えるも、取り置きチケットにはチケットがないみたい。
フルネームを改めて伝えて、チケットを用意してもらったんだけど
さらりと”2,000円です”と言われてしまった・・・。
おやおや?すいません、あの、すでに支払済ですが。
と伝えると、失礼しましたといって、そのまま通してくれた。
・・・なんか、QRコード、全然意味なくない?ま、いいんだけど。
開場してすぐだったからか、一番前の真ん中をゲットして、着席。
最近は、一番前の席がお気に入りだったりする( ̄ー ̄)ニヤリッ
2方囲み舞台で、客席が劇場の奥側(普段の舞台側)と
普段の客席側とに分かれていて、真ん中に舞台があった。
私は、奥側の一番前に座って、舞台を見た。
役者さんは4人。
題目である「ローザ」自身は出てこない。
すでにローザは虐殺され、その事件から5年経った日を描く。
ローザの墓前に集まった、かつての親友や朋友、教え子。
それぞれがローザを悼み、悲しんでいるのだけれど、
それぞれにもまた、複雑な思いはあるのだ。
かつて一緒に過ごした人たちだからこそ、
ローザとの関わりも、いろいろと複雑なものがあったらしい。
自分たちの思い、ローザの思いに気づくために、
それぞれがローザの代わりにローザを演じて、再現していく。
いかにも、これこそが”演劇の原点”というカンジだ。
他者を理解するために、他者を演じるという。まさしく”演劇”だった。
役者さんは、男性が1人、女性が3人。
この役者さん全員がそれぞれ、ローザを演じていくのだけれど、
もちろん、男性の役者さんだってローザを演じる。
性別も、年齢も、時代も、国籍も超えた”演じる”という行為。
こういう行為そのものが、まさに”演劇”なんだなぁと思ったわ。
しかし、ローザという人は、本当に理論の人だったのだなぁ。
革命のためなら死んでも構わない。
今、失業している人がいても、明日食べるものがなくても、
10年先、100年先、200年先を考えて世界を変えようとする理想の人。
舞台上では、社会主義や共産主義、革命論だのなんだのと、
いろんな難しい言葉がすごいテンポで繰り広げられていくのだけれど、
よくわからない私でも、ローザの理論がめっちゃ理想論だと感じた。
もし私が、明日食べるものがなかったら、
将来のことよりも、今食べるものをなんとしても得ようとしてしまうだろう。
ローザが食べ物に困ってないからそんなことが言えるんだと思ってしまう。
見ているウチに、ローザの理想すぎる理想論に、うんざりしてしまったほど。
だけど、今の時代にはないパワーが、この時代にはあったのだなぁ。
舞台を見終わった後、ポストパフォーマンストークも見たのだけど
ローザが残した有名な言葉があるらしい。
Freiheit ist immer die Freiheit des Andersdenkenden.
(自由とはつねに、思想を異にする者のための自由である)
なんか、ん?と思ってしまう訳文だけれど、
「私とは異なるあなたの考え方も、認める自由」みたいな言葉なんだそうだ。
そっか・・・相手を認める。相手の自由も認める自由、なんかな。
そう思ったら、なんとなく、すごい理論だなぁと思えた。
最近は、どうも、相手を認めない風潮が強くなってきている気がする。
ちょっとでも悪だったらとことん糾弾したり、誤りを許さない風潮があって、
仕事をしていても、絶対止まらないサーバだとか、回線だとか、
絶対障害が起きないサービスだとか、そんな要求が多い気がする。
なんだかすごく、相手に対する許容量が少ない気がするんだよね。
ローザの理論は、社会主義だし、さらに理想論過ぎて、納得出来ないけど、
こういう自由への理論は、なんかいいな、と思えた。
考えてみたら、相手を認める=相手を想像するってことだよね。
相手を想像する=相手を演じてみるということに置き換えたこの芝居は、
なんか、舞台全体でもローザを表してたのかなぁと思ったりした。
うむ、なかなかいい舞台を見たなぁ。
ちなみに、私としては、舞台に出ていたヒザイミズキさんが結構好み!
なんか、どっかで見たことある気がするんだけど、気のせいみたいだ。
雰囲気が、うちの劇団のM嬢に似ているせいかもしれない。
そうそう。
作・演出の黒澤さんが、上演後のポストパフォーマンストークで、
「サンフォード・マイズナー」という人の演劇論に影響を受けたと行ってた。
ちょっと調べてみると、なかなか有名な演技指導者らしい。
できるかどうかはわかんないけど、劇団でやってみるのも面白そう。
・・・指導できる人はいないけどね(;´Д`)
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