京都芸術センターに”カムヰヤッセン”という劇団を観に行った。
初めての劇団さんだけど、東京の劇団さんみたいだ。
なんか、たまたま京都芸術センターで芝居観たいなぁと思って、
ふとサイトをみてみたら、この公演が載ってたのだった。
劇場ありきで芝居を見つけることもあります( ̄ー ̄)ニヤリ
# ま、たいていは映画館でこういう探し方するんだけど。
京都芸術センターのフリースペースで全席指定の客席だった。
なんか、これくらいの規模で全席指定ってあまりないよねー。
思いついてふと予約したチケットだったけど、
前から二列目の真ん中という、とてもいい席だった。
ストーリーは、とある村の話。
そこでは、いくつかの家族が協力しながら村を運営していて、
基本的にはみんな話し合いをしながら、少ない資源をやりくりして、
話し合いで決着しなければ、運をつかって決着したりする。
ほのぼのと仲のいい集落で、自分たちのルールで生活しているのだけど、
そこへ”物知り”という立場の人間がやって来る。
今までのやり方を、より利益をもたらすように、より効率的にすることで、
生活を豊かにしようとするのだ。みんなもそれに賛同していく。
どんどん効率的に、どんどん量産的に、どんどん豊かになっていく人たち。
物を覚える、ことがいかにすごいか、というのをどんどん見せていく。
こうなってくると、なんとなく先が読めてくる。
どんどんどんどん人間関係に微妙な溝ができていくさまが見えるのだ。
別に仲が悪くなるわけじゃないけど、腑に落ちない”溝”が広がっていく。
そこで起こるいくつかの事件をきっかけに、
一気に関係が破綻していくさまは、見ていてリアルで怖かった。
ずっと一緒にやっていこうと言っていた家族たちが、
もう一緒にやれなくなって、ここにとどまることもできなくなってしまう。
最後は、それぞれがバラバラに村をあとにして、誰もいなくなる。
コレだけだとただの破壊の物語、というか文明否定みたいなかんじだけど、
最後にはちょっとだけ、夢物語的な希望を残していた。
自分たちはこの場所にいられなくなってしまったけれど、
また誰かがこの場所に来て、自分たちと同じように生活をはじめるだろう。
自分たちと同じようにまたいろんなことを知って、変わっていくかもしれない。
けれど、自分たちとは違う結果になって、
いい方向へ進んでいったはずだという希望を叶えてくれるのだ。
最後のシーンは、新しい人達が戻ってくるシーンが描かれていた。
そのシーンのおかげで、ちょっと救われた気がしたけど、
ただ、バラバラに離れていった時に子供だった当人たちが、
新しい家族を作って戻ってきていたのに、すごく違和感を感じた。
戻ってくるのが早すぎる気がしたんだよね・・・数年後レベルやもん。
せめて2代とか3代後とか、全然関係ない人のほうが良かったなぁ。
でも、知ることがいいことなのか、知らないほうがいいのか、
なんていうのは、よくある理屈だよね。知恵の実、とかさ。
知ったことをどう使うかが大事、なんて説教くさい理論も嫌だし、
結局、答えなんて出ないんだよね・・・。
役者さんたちはみんなそれぞれうまかったんだけど、
舞台をずっと見ていて、なんだか変な違和感がずっとつきまとってた。
あとでふと考えた時に、この違和感の理由がわかった!
村にいるのはいくつかの家族で、
家族だから子供も大人もいるんだけど、
家族の年齢層の違いが全然わからなかったのだ。
あまり年代が変わらなさそうに見えるのに、親子とか、兄妹とかで、
動きや喋り方で子供だろうなぁとかは思うんだけど、
どうも年齢層の幅が見えないから、すごく演技に違和感を覚えちゃうんだよ。
アフタートークを聞いた時に、演出さんが言っていたんだけど、
実際の年齢の幅は20代ぐらい違う人たちもあったみたい。
年齢層が違う人達はなんとなくわかったけど、全員そうじゃないしね・・・。
演技だけじゃなく、やっぱり見栄えは大事だわ、と思った。
ま、話は悪くはなかったけど、違和感がずっと残っていたので、五分五分か。
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